kusazukikaasan’s blog

植物、育児、食べ物、暮らし

日頃子供と遊んでやれないという悩み。スマホとの付き合い方の悩み

はじめに

こんにちは。
草好き母さんです。3歳の娘をお腹の外で、息子を1人お腹の中で育成中です。
今回は、子育ての中で不可欠な項目“遊び”について気付いたことと考えたことを書いていきたいと思います。
今回も前述させていただきますが、これは私なりの考えであって、世の中、子供も親も家庭も千差万別。万人に当てはまるわけではありません。けれどもしかしたら、誰かには当てはまるかもしれない。
その程度のものだと思って読んで頂ければ幸いです。

 

私の娘のお気に入り

私の3歳の娘はYouTubeが大好きです。放っておけば何時間でも見ています。多分、娘の一番のお気に入りのオモチャがスマホです。
これを良しとする人は、まあ、現代社会にはいませんよね。
情操教育に悪いとか、運動能力の発達にも悪影響があるとかエトセトラ・・・。
かの有名なスティーブ・ジョブズも、自分の子供にはスマホを持たせなかったらしいですし。
私も思っています。少なくとも目にはすこぶる悪い、と。
できればあまりお気に入りになって欲しくないな、と。
でも、仕方ないのかなと半ば諦めているところもあります。
親が便利に使っていたら、子供は興味を持ちますし。私はスマホは正直、煩わしくてあまり好きではありませんが、生活の重要なツールの一つとなってしまっているため、側に置いておく他ありません。しかも、我が家では旦那がスマホ中毒ですので、子供が触りたがらない方がおかしい。
今も二人して布団にゴロンして各々好きにスマホ見てます。


晩御飯でグズって、ご飯も大して食べず!旦那とそのまま寝室にスマホ持って行って!風呂も入らず!!長々とスマホ三昧!!!
お母さん、今日はもうしらんわ!!

勝手にしなはれ!!!


怒りながら記事書いてます。

 

勿論、YouTubeにだって良いこともありますけどね。

娘のボキャブラリーは豊富になったと思います。あの薄っぺらい画面から、日々、凄いスピードで言葉や歌を吸収しています。

英語の歌もいつの間にか覚えて歌ってくれます。

幼児教育YouTubeのお陰か、歯磨きも爪切りも手洗いも嫌がりません。

こんな点では、少なからずYouTubeの恩恵を感じています。
そんな風な、現代の子供たちのお遊び事情。
さて、大人はどう絡むべきなのでしょうか・・・。

 

日々親も悩んでいるはず

お母さんが主婦をしている場合、子供と一番長い時間接するのはやっぱり母親ですよね。主夫さんならお父さんになりますが。
単純に考えれば、子供が入園していない場合、そういった人が子供と遊んでやる他ないのでしょう。

ご近所の子供と遊ばせるにしても、あちらさんのお母さんの都合や生活スタイルなど、考えると結構ブレーキがかかります。
私は家業を手伝いながらの専業主婦です。家族は多いですが、高齢の祖母もいて、日中は座る暇もないくらいバッタバタの日もよくあります。夕方はもうクタクタ。一度座ったらお尻が重いったらありゃしない。
はい。正直、子供と遊ぶ時間を作るのは至難の技です。
実際、あまり遊ぶ時間は作れていません。
時々一緒に料理をするか、夕方に少し散歩をするか、そうでなければ仕事の片手間に相手をしてあげるくらいです。

 

ーーあ、また世間様の厳しい声が聞こえてきた。

 

甘ったれるな、母親だろ。
子供が放っておかれて可哀想。
みんなしんどいんだよ、子供のために頑張れよ。

 

かまし

 

十二分に頑張っとるわ!
母親はロボットちゃうぞ!
これ以上無理したら冗談抜きで流産だわ!

 

こんな感じで、毎日頭の中で自責と反発を繰り返しています。


理想と現実に差がありすぎる子供との時間。頼りたくないテレビやYouTubeに頼らざるを得ない日々。
入園までにはまだ間がある。これでいいのか?母親の私!
って。

 

落ちてきた記憶

で、先日、ふと考えたんです。
自分が子供の時はどうだったかな、と。
で、気付いたんです。
そういば、私も母と遊んだ記憶がないな、と。

 

そう。
ネットや育児書では、お母さん又はお父さんはこんな風に遊んであげましょう、こんな遊びがありますよ、こんな風に遊んでますよ、ていう情報がいっぱい。

読めば読むほどに、頑張って子供と遊んでやらねば!という強迫観念に近い感情がわいて出てくる。

でも、自分の幼少期はどうだったか記憶をたぐると、大人と遊んだ記憶、特に母と遊んだ記憶は驚くほど無かったんです。

いや、もしかしたら実際は遊んでくれたのかもしれませんよ?でも、覚えがない。そらもう見事に記憶は空っぽです。言い替えれば、その程度の体験だった(ヒドイ…)ということ。
私の中の母の記憶は、台所で働いていたり、高齢のじいちゃんばあちゃんの世話をしていたり、疲れて横になっている姿ばかり。プールに行っても海に行っても遊園地に行っても、母はいつも遠くで見ていて、手を振っていた。私は、家では独りもしくは妹と、外では父や妹と遊んでいたんです。
しかも、私はその状況に不満も寂しさも感じていなかった。

むしろ、母がいきなり「奈良公園に行こうか」なんて言い出した時は「何事!?」と逆に心配したほどです。うん、このエピソードはしっかり記憶している(笑)


なーんだ、昔のオカン、今の私と同じやん。今の娘、昔の私と一緒やん。

ほんなら、娘もそれほど不満は感じてないんやろうか、と思いました。
保育園より家の方が居心地よくて登園拒否をするくらい、家は当時の私にとって心地がよかったんです。

勿論、娘は私とは別人ですから、幼い頃の私と同じ心情とは限りません。

でも、過去の記憶を分析する限り、日常的に大人(親)と遊ぶ事って、子供にとってはさほど重要じゃないんじゃないか?という考えが出てきたんです。

むしろ、たまーに発生する海や山や遊園地などの特別イベントにこそ、親の行動と存在の在り方が大きく関係してくるのではないか?と。
そんなら、日常、あまり娘と遊んであげれない今の母親の私を必要以上に責める必要も、今の娘をそれほど哀れに思う必要もないのかもしれないな、と。


ただ、それには一つ大切なことがあったんです。


私は、母に遊んでもらった記憶はあまり無かったのですが、忙しい家事家業の中、邪険にされた記憶もそれほどないのです。
話しかけると、それなりに誠実な反応が返ってきていた気がします。
子供って、仕事中はどうしても邪魔な存在になりがちですが、実際、私は結構邪魔やったと思いますが、そんな私を、大人のみなみなさん、我慢して相手してくれていたんだな、と今になって思いました。

そう。遊んではもらえなかったけど、私の居場所はきちんと用意してくれてあったんですよね。

 

 

無理に遊ぶ必要はない。けれど、決して邪魔者扱いはせず、安心できる居場所を提供すること。

 

当たり前だけど難しい解答が、私に降りてきました。

 

YouTubeとの付き合い方に関しては、これはまた別の問題になってしまいましたが、これも、私に出来る限りの事をして気をそらしてやるしかないのだろうと思っています。
私一人がスマホを嫌って娘から無理に遠ざけたり取り上げたところで、周りの環境がスマホに傾倒していたらどうしようもありませんし。

むしろ、これからの時代、スマホとの適切な距離の取り方を子供と一緒に考えていく方が、私達には大事なのかなと思いました。

 

おわりに

というわけで、世の中の忙しいお母さん、お父さん。
もしかしたら、なかなか子供と遊ぶ時間を作ってあげれなくて後ろめたく感じているかもしれませんね。でも子供はあなた方が思っているよりも、案外幸福に毎日を過ごしているかもしれませんよ。
昔の私がそうだったように。

先に書いたように人は千差万別ですから、絶対に当てはまるとは言えませんけどね。

 

さ、そろそろ娘と旦那の元に戻ろうと思います。
あいつらまだスマホ見てるんだろうなぁ・・・。

 ちょっと怒らねば。

 

絵↓

スマホの速度が遅すぎてイライラする娘。

 

 

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