kusazukikaasan’s blog

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赤ちゃん・子供が泣いたらどうする? 共感?代弁?放置?導き出した私なりの正解

はじめに

こんにちは。
草好き母さんです。
現在、3歳とお腹に1人、子供がおります。
子育てには厳しいと言われている現代社会と交わりながら、『親子ともに心地いい育児生活』を日々模索しています。
先日、育児でふと気づいたことがあるので、ここに書かせて頂けたらと思います。
あくまで私の意見ですので、おススメしているわけではありませんが、ご一読いただければ幸いです。

 

 

 

これまでの方法

私、これまで子供が泣いた時には、『いかに迅速に泣き止ます』か、そればかりを考えていました。
インターネットや育児書、そして私が実際両親からされていた泣き止まし法を参考に、実施してきました。
「はいはい。泣かない泣かない」
「頼むから泣き止んでくれー」
と今まで何度口にしたか分かりません。

育児書やインターネットでは、
共感してあげる。
「怖かったね、辛かったね、痛いね、悲しかったね」と気持ちを代弁してあげる
という方法が目立っていたように思います。
私自身の経験では、私の場合かまうと余計に泣くからと、大事が無ければ大体、放って置かれていたように思います(保育園か小学生時代の記憶)。

私も、これらを実践してきました。我が子を早く泣きやませるために。
でも、ずっと違和感というか、どれもしっくりこなかったんです。
何か違う。何か間違ってる。気持ち悪い。と思いつつも、その正体が分からず続けてきました。
以下に、私が感じていた違和感というか疑問を書いていきたいと思います。
読まれた方の中には、屁理屈抜かしてんな、って思われるかも知れませんが。

 

 

共感してあげる。に対する疑問


これに関しては、特に疑問はありません。
共感。はい、大事だなと思います。
ただ、適当に共感しているふりをしたら、びっくりするほど相手に伝わりますよね。
子供だって見抜きます。奴らの観察眼は大人より鋭い時があります。
『あ、こいつ、適当にあしらってやがんな』
って、大なり小なり不信感を持たれてしまいます。
しかも、子供と一緒にいると、共感してあげないといけない時が非常に多い。そらもう、5分に一回くらいは「うん、そうなんやな。うん」て返事をしているような状況じゃないですか?
そんな日常で、親だって人間だもの。適当にあしらいたくなる時もあるでしょ。
子供が泣いている時も、自分が疲れていたら、子供が訴えてくる言葉が宇宙語だったら、『ああ、もういいや。適当に返事してしまえ』ってね。
ならないとは言わせませんよ(笑)。
だから、泣いている子に対して発動させる手段がこれ一本では、万全ではないなと思うのです。

 

気持ちを代弁してあげる。に対する疑問。


世の親御さんに聞きたい。
これ、無茶苦茶難しくないですか?
だって、いくら自分の子供といえどいつも正しく気持ちを理解してあげる事ができると思いますか?私は、エスパーでない限り無理だと思っています。
例えば、転んで泣ている子に「痛かったね。ビックリしたね」と親は気持ちを代弁したつもりでいても、子はさほど痛くなくて実は転んだ事を悔しくて泣いているのかもしれない。
それを察せず「よしよし、痛かったねビックリしたね」と慰めているのはとってもトンチンカンな気がするんですよね。
この方法の理由と目的は、まだ自分の気持ちをうまく言葉として表現できない子供のために親が適切な心情を教えてあげる、というものらしいのです。ならば余計に、トンチンカンじゃ駄目じゃないですか。
勿論、子供の心を察しようとする事は大事だと思います。ですが、やっぱり代弁するっていうのはあまりに高等技術すぎると、私は思ってしまうのです。

実は、こんな事がありました。
上の子をある幼児教室に通わせたのですが、数回通った頃から嫌がって泣くようになったんです。それはもうすごい嫌がりようで、教室の時間の殆どを泣いて過ごす程に。
私は、母子分離を強いらて悲しかったり不安だから泣いているんだと思っていました。
実際、娘は「教室いや」「ママも一緒にいて」
って言ってましたし。
でも、ある日先生が言ったんですよね。
「お母さん。この子、実は悲しくて泣いているんじゃないのよね。腹を立てて泣いてるのよ」
最初は、教室をやめさせたくなくて適当な事言ってんのかな?と先生の発言を疑いました。けれど、その後の先生の説明がストンと腑に落ちたんです。
先生は、
娘は自分がここにいる事に納得できておらず、その感情を制御できる年齢にもまだ達していない。頭では、自分は教室を受けなければいけないと分かっている。だからこの子は逃げたりはしない。でも、気持ちで納得できてないから腹が立ってこんな風に泣いてしまうのだ。
と私に詳しく説明してくれました。
確かに、教室に来た時の娘の泣き方は、寂しいとか悲しいというよりは自分の思い通りにならない時の癇癪に近いものがありました。
成る程ね〜、と妙に感心したのを覚えています。さすがプロだわ、って(笑)。
同時に、じゃあ私は今まで、「そうか。悲しいのか。不安なのか。そうかそうか。でももうちょっと頑張ってみような」と娘を慰めていたけど、娘にしてたら「わかっとらん!!」って感じだったのかも、と恥ずかしくなりました。
そりゃ、いくら教室が終わった後のご褒美を提示しても拒否されるわけですよね。
こんな風に、親がちんぷんかんぷんやっていて、第三者が子供の本心を当てる事もあるんです。
だから、やっぱり泣く子の気持ちを代弁しましょうよ、っていうのはね・・・。
ちょっと難易度高すぎますわ。


泣き止むまで放っておく。に対する疑問


これ、案外効果的なんです。早く泣きやます、という目的を達成する事だけにおいては。
幼い頃、妹は泣いている時には「どうしたんや?」「可哀想になぁ」と皆に気にかけてもらっているのに、私が泣いている時はどう考えても皆さん無視に近い態度で通り過ぎていく状況を不思議というか不満に思って、母に尋ねた事があるんです。
そしたら、「妹は構ってあげると泣き止むけどあんたは余計に泣くから」
という答えが返ってきました。
「そうやったんか・・・」
合点がいったのを覚えています。
確かに私は妹よりも場の状況に飲まれやすくて、構われると更に泣いてしまうという傾向があるのかもしれない、と幼心に納得しました。
同時に、
泣く事=よくない事
という方程式がこの時、バシッと成立しました。
それからは、なるべく早く泣き止むように努力しました。周りをあまり困らせないように。嫌がられないように。
まったく、我ながら、『馬鹿素直ないい子』だなぁと思います(笑)
現在では、この方法を「虐待だ!」とかいう方もいるかもしれませんね。私は、これはこれで、一つの手法だと思っています。
ただこれは、早く泣き止むようになるってだけで、子供には結構寂しさが残りますね。
この子供の頃に感じた寂しさが、今現在、実施した時の後味の悪さとなったんでしょう。
だからまあ、私としてはなるべく使いたくない手法ではありました。
ただ、皮肉にも一番よく使った手段でもありました。それだけ自分の心にも時間にも余裕がなかったんです。母もそうだったんでしょう。

 

 

こんな感じで、様々な泣きやませ対処法にささやかな疑問を抱きつつ、かといって自分なりの正解を導き出せないまま時が過ぎること3年。

 

ある日ふと、答えに繋がりそうな疑問が落ちてきたんです。

 

 


そもそも、無理に泣きやます必要があったのか?

 

泣くという行為は否応なく周囲の注目を集めてしまいますし泣いている光景や声で愉快になる人はいないでしょう。
人によっては、優しさから「早く泣きやませてあげて」という方もいるでしょう。
周りの人を不快にさせてしまう!と、親御さんは焦るでしょう。肩身も狭い。
「うるさいですよね、すみません」
とつい謝りたくなる。寛容さに欠ける現代社会。
外って面倒よねぇ・・・(書いていて思いました)。
勿論、迷惑にならないわけじゃない。電車などの公共交通機関では、子供が泣くというのはやっぱり迷惑になってしまうんですよね。子供の泣き声が生理的に無理だという人もいる。疲れてぐったりしている人もいる。公共交通機関の利用が唯一の睡眠時間だというギリギリの人だっている。そういう人たちにとっては、子供がぐずる現場に居合わせるのは『ツイてない』状況です。(だからって、それで悪態を吐くのは粋じゃない。)
『社会』にいる以上、親はやっぱり周囲に気を使わねばならないのが現状であり日本で生活する上でのマナーだと、私も思っています。子供は泣くのが仕事なのよ。文句あっかー!と踏ん反り返っているわけにはいかないよな、と。
子供が大きければ、「みんなの迷惑になるから、ここでは騒いだらあかんよ」と事前に(あえて他の乗客に聞こえるように)言い聞かせておく。
赤ん坊なら、泣いた時にはスミマセンを匂わせる表情で周りに会釈する。
などの悪知恵・・・じゃなかった、対策をした方がお互いの精神衛生上よいと考えています。


だがしかーし!

これはあくまで社会的措置

私は、泣く事は腹痛と似ていると思うんです。
気持ちなり体なりに原因があって、それを消化できないから苦しくて泣く。
お腹痛いって言っている子に、即座に鎮痛剤飲ませます?飲ませませんよね。
まずは、原因を突き止めるか予測して、お腹をさするなり何なりしながら様子を見つつ原因を除去できるならしてあげるか、できそうにないなら自然に治まるのを待ってみるのが定石。
ここで、無理に鎮痛剤を飲ませて腹痛を止めてしまったら、下手すりゃ病状が悪化するかもしれない。
それに誰も、腹痛で苦しんでいる人に「とっとと鎮痛剤でおさめろよ」なんて悪魔みたいな事は言いません。
だから「泣かないでー」「泣いたらあかんよー」など、生物的に考えたら本来は言わなくていいんだと気づいたんです。
そう。
泣くこと=悪いこと
じゃなかったんです。
言葉が通じる子供でも通じない赤ん坊でも、まずは「どうして泣いている?」と考えて、取り除ける原因なら取り除いてやればいいし、ワガママなど黄昏泣きなど取り除けない原因なら本人が落ち着くまで泣きたいだけ泣かせてやればいい。そんで、原因不明で尋常じゃなければ病院へ相談。
親は「抱っこなどいかがですか?」とか提案して、泣き止むまで側にいてやればいい。
共感も、代弁も、放置も別段必要じゃなかったんだと思ったんです。
それからは、随分と心が軽くなりました。

 

現在の方法


今はなるべく時間と場所が許すようなら、「泣きたいだけ泣きんさーい。落ち着いたら◯◯しよ」と抱っこなりで付き合うようにしています。
無理そうなら「今ちょっと忙しいから終わるまでお待ち」と付き合えるまで子供に泣きながら待ってもらうのも全然ありだと思います。
この方法にしてから、子供も私も以前より気持ちよく(?)泣き時間を過ごせるようになったんじゃないかな、と感じています。

 

おわりに


前述したように、これは私なりの疑問と解答なのでおススメするわけではありません。ですが、もし同じような悩みを持っている方がいらっしゃるなら、参考程度にはなればいいな、と思います。

 

では、世の親子さん達が少しでも心地よい日常を送れることを祈りつつ。